享年20「生ききった」青年の人生
今から5年前の1月、千葉県船橋市のとある葬儀場に吹奏楽の音色が鳴り響いた。
葬儀にはいささか不釣り合いな勇ましい曲を演奏する。
この曲は高校野球で耳にする応援歌、演奏が始まると必ず点を取るとされる伝説の曲、市立船橋高校のオリジナル曲「市船soul」と呼ばれる楽曲だ。
この楽曲の作曲者が元吹奏楽部の浅野大義さん。
この物語は今年映画化される。
「市船soul」は市船野球部の守り神となり、演奏すると点が入る曲となる。
しかし卒業から1年半、肺にできた悪性腫瘍が脳にまで転移。
それでも、浅野さんは最後の時まで音楽に情熱を燃やしたという。
そんな浅野さんのドラマチックな生き方に魅せられたのが作家の中井由梨子さん、160人以上の仲間が駆けつけ演奏する様子に引き込まれたという。
どんな生き方をしたらこんなにも愛されるのか、中井さんは浅野さんの姿を知り合いの中に探そうとした。
さらに中井さんは浅野さんのお母さんに話を聞くことも出来たという。
浅野さんは高校最後のお弁当箱に「3年間美味しいお弁当をありがとう」とメモを残たという。
さらに、かつて浅野さんとお付き合いしていた女性は常に笑顔で浅野さんの事を話したくれた。
当時の吹奏楽部の部長は「不安だった自分に“周りに何でも頼って良いんだよ”って言ってくれたのが大義だった」と振り返る。
5年間かけた取材で中井さんがたどり着いたのは、浅野さんが周囲のために時間を使うのをいとわない人だったということ、そしてそれは顧問の高橋先生の「他を思う気持ちが人一倍強かった」という言葉にも込められている。
そして顧問の高橋先生は部員に「大義の魂に演奏を聴いてもらおう」と葬儀での演奏を提案する。
浅野さんの告別式に集まった164人の部員たち。
立錐の余地もないスペースの中で「市船soul」を演奏した。
「市船soul」応援曲物語